2010年6月
06/03(木曜日)
「新しい公共」 (「新しい公共」オープンフォーラム(その2))
三鷹市立第四小学校で (同行者撮影)
前回に引き続き、少し別の視点から、「新しい公共」について書きたいと思います。
例えば、学校の教育です。
三鷹の小学校に伺って痛感したのは、三鷹市、教育委員会、学校長をはじめとした教職員の皆さんなど、教育関係の行政機関の努力とは別に、児童の保護者の方々、あるいは地域の方々の献身的な努力がないと、真の意味での教育が機能しないということです。
学校における教育や学習の内容を充実させるという「公共」を、地域の住民や保護者の皆さん、学校の教職員や市長、教育長、その部下の職員、さらには文部科学省に至るまで幅広い関係者が分担する。そうして、心をひとつに連携してはじめて、質の高い教育の提供や学童の安全確保などが生み出せているのです。
私は、また、「新しい公共」は国内だけで完結するものではない、と考えています。
例えば、大規模な災害対策、新型の流行性疾病の予防・感染防止・治療といった対策など、いかなる国においても、一国の政府だけでは対応できない事態が増加しています。
今から15年余前の阪神淡路大震災の経験でも、5年余前のインドネシア・スマトラ沖地震・津波災害の経験でも、またSARSや新型インフルエンザへの対応でも、各国内の、中央政府、地方政府、軍や自衛隊、さらには、国際機関や、外国政府、国際的なNGO・NPOのネットワークが連携してはじめて、機動的な救援、復興活動が実現します。
さらに、温暖化対策にしても、各国の政府が目標を設定するだけでは具体的な成果は上がりません。
多くの国々の、国民一人ひとりが、企業が、地方や中央の行政機関が、交通機関やNGOが、共有された目標をもちながらそれぞれの立場で行動することによって、温室ガス削減という「公益」が実現されるのです。
「人」の交流についても、同じことが言えます。アジアとの交流を考えるとき、「モノ」や「カネ」の交流だけでなく「人」の交流、経済だけでなく教育や文化の交流も大切です。しかし「人」の交流を進めるには、政府だけでなく、民間レベル、個人レベルでの様々な交流が不可欠です。
私は、以前、目指すべき指導者像はと問われて、オーケストラの指揮者とお答えしました。
各種の政策課題が複雑多様化し国際化する中で、国家が果たすべき「公共」的な役割を、誰かひとりが絶対的な権力で果たすという時代はとうの昔に過ぎ去りました。現代国家におけるリーダーシップとは、「公共」的な役割を担おうとする人々の力を引き出し、調和させ、より大きな力へとまとめ上げていく能力だと考えます。
国家の主役は、国という公共空間を担う国民の皆さん自身です。皆さんの力なくして「公共」は成り立ちません。「新しい公共」とは、そういう試みなのです。




